エリック・クラプトン -12小節の人生-/ERIC CLAPTON:LIFE IN 12 BARS

  • 2018.10.17 Wednesday
  • 14:26

JUGEMテーマ:試写会

 

エリック・クラプトン -12小節の人生-/ERIC CLAPTON:LIFE IN 12 BARS

 



♯141


ここまでたどり着いた、その生き様を自らが語るドキュメンタリー。
エリック・クラプトン72歳(製作時)は、B.B.キングへの哀悼の言葉から
噛み締めるように人生の振り返りを始める。

若さゆえの選択と行動。
ファンなら、代わって話せるくらい彼の歴史を知っているだろう。
しかし、この度は、初めての事柄も多々編集されているという。

誰に押されたわけでもなく自らどん底へ落ち、もがき
それでも自らの力で這い上がったあの頃の彼。
そう、その頃、観ている自分自身の人生はどうだったのか、ふと“時”を重ねながら彼の語りに聞き入る。
スクリーンには、あの頃のクリームの面々、ザ・ローリングストーンズ、ザ・ビートルズ、
ボブ・ディラン……アーカイブ映像の彼らは、迷いのない自信にあふれ表情を見せてくれる。
あふれ出る曲も懐かしい思いをかきたてる。
彼は、18歳。ヤードバーズのメンバーになっていた。
26歳で「いとしのレイラ」を。苦悩の迷路へ迷い込む頃の作品。
そう、どん底への迷路から抜け出せなくなる。
ドラッグとアルコールに溺れた日々。さまよう彼は安易に許されるはずもなかった。
が、社会は彼を見捨てなかった。

72歳の彼は、ギターを手離さなかったから救われたと自戒の念。

80年代初期に復帰を果たすが、さらなる悲哀の人生が待っていた。
4歳の息子コナーが53階から転落死。
息子は、47歳の父に「ティアーズ・イン・ヘヴン」を遺してくれていた。

エリックの語りに耳を傾けながら、曲にうっとりしながらの135分は、あっという間だ。
あの頃を振り返るということは、これからどう生きるかを見通すことだろうか。
観終えて、“時”のなつかしさとともに明日への安堵を彼と共有できた思いになった。

2018.10.15試写/S

2018年11月23日(金)TOHOシネマズ  シャンテ、ほか全国ロードショー
名古屋/センチュリーシネマ
 

ライ麦畑で出会ったら/COMING THROUGH THE RYE

  • 2018.09.28 Friday
  • 15:11

JUGEMテーマ:試写会

 

ライ麦畑で出会ったら/COMING THROUGH THE RYE

 



♯140


洗い立てのシャツに袖を通すような、心地の良い作品である。

主人公のジェイミーは、兄にすすめられ気が進まないまま男子高校に入学した。
そこは全寮制で、彼は演劇部員なために運動部員からは見下され、何かと不満を抱えたままの日々。
そうした折、彼は、かつて感銘を受けた『ライ麦畑でつかまえて』の脚本を書き、学校で上演することを思い描く。
実現するには、著者J.D.サリンジャーの許可を得なければならないわけだが、
連絡を取ろうにも隠遁生活をするサリンジャーの居場所はつかめない。
手紙を書くも、同僚によって盗まれ、挙げ句に校内で事件化してしまう。
普段から抱えていた不満と事件によって、ジェイミーはついに寮を飛び出す。
それでも、演劇のことはあきらめず、サリンジャーを探す旅に出ると決断。
一途な思いを演劇サークルで出会った同い年のディーディーに告げる。
と、彼女も一緒に行くと言う。

ある意味、ここからが本筋といえそうな展開となる。
二人は、ディーディーが運転する車でサリンジャー探しの冒険を繰り広げる。
田舎道を小気味よく走る小さな車。アメリカの車にしてはコンパクト。車種が気になる。
たどり着いた野原でトウワタの綿毛にたわむれる二人の笑顔は本作を象徴するシーンだろう。
タイミングよく流れる音楽も厳選されて、いつまでも聞いていたい優しさに浸れる。

サリンジャー探しは容易ではない。ときとして、二人の意見がぶつかりあう。
ちょっと大人びたディーディーのリードで、難題を乗り越えるジェイミー。
物語は、『ライ麦畑でつかまえて』をなぞるようなニュアンスも否定できない。
だからこそ、気持の奥に深く届く。世界各国の映画祭で10以上もの賞を受賞したのもうなずける。

*『ライ麦畑でつかまえて』J.D.サリンジャー著 1951年出版
有名高校に通う少年ホールデンは、学業不振で退学になる直前、寮を飛び出しクリスマス前の
ニューヨークをさまよいながら、昔の友人や先生、ガールフレンド、
最愛の妹フィービーに会いに行く……“インチキ”な大人の社会に対して不満を投げかける内容は、
時代と国境を越え、若者たちの共感を呼び、青春小説の古典的名作として
世界中で読み継がれている。(パンフレットの紹介文より)

2018.9.27試写/C

2018年10月27日(土)公開
名古屋/伏見ミリオン座
 

日日是好日

  • 2018.09.18 Tuesday
  • 10:15

JUGEMテーマ:試写会

 

日日是好日

 


♯139

その経験は、人をどう変えるのか。
その人は、真面目で理屈っぽい20歳の大学生、典子。
この先の生き方が定まらず、そんな自分に嫌気を感じる日日。
誰もが感じるそんな年頃に、典子は何を経験し、どう向き合うのか。

彼女は乗り気でないままに、毋の勧める“お茶”を習うことになってしまった。
教室は、細い路地を通って奥まった所に佇む。
訪ねてすぐに茶室に通され、いきなり帛紗(ふくさ)の使い方を指導される次第で、
作品上も、作法、所作が細かく延々と紹介されるだけで物語がなく、観ていて少々戸惑う。
彼女も、戸惑った様子で「“お茶”って形式主義じゃないですか?」と理屈っぽさが表に出る。
対して「何でも頭で考えるからそう思うのねぇ」と笑う先生。

そうか、生き方を頭で考え求め、頭で答を出そうとするから迷ってしまうのかもしれない。
そうした“気づき”を得ることから物語は進む。

大学を卒業するも、希望の就職は叶わずアルバイトしつつ親元で暮らす典子。
“お茶”に限界を感じる日日。

作品上では、物語もさることながら、形式にこだわる“お茶”の知識が披瀝されるシーンが多く
四季に寄り添うことで忘れかけていた風情を感じとる気持ちの余裕、人への配慮、
自身の存在などを再認識するたいせつさを教えてくるていることに気づかされる。

このことはまた、限界を感じつつも、典子も“気づく”展開で
人生の挫折、たいせつな人との別れを“お茶”によって救われていることを理屈抜きで感じる彼女。
そして、先生の言葉。
「意味なんてわからなくてもいいの。“お茶”は形から先に整えておいて、後からこころを入れるものなのよ」と。
生きる意味を問う前に、日日を整えることで、こころが満ちるものという教えか。
確かにそうかもしれない。

習い始めて20年は過ぎただろうか、歳を重ね人生の経験も重ねた典子に、
先生は「そろそろ工夫というものをしなさい」とひと言を添える。“お茶”への工夫か?生き方の工夫か?
折々の含蓄のある言葉こそ本作の“ツボ”ではないだろうか。

閑かな物語である。深みを増す物語でもある。“お茶”を嗜む人生って、そういうものなのか。

2018.9.7試写/C

2018年10月13日(土)全国ロードショー
名古屋/ミッドランドスクエアシネマ、ほか

食べる女

  • 2018.09.15 Saturday
  • 10:11

JUGEMテーマ:試写会

 

食べる女

 



♯138


うまいものを自分流にこしらえて頂く幸せ。それも気の合う友とならばひとしお。
同様に、人生もうまいものを食べるが如しと本作は、ほっこりと説く。

そのこしらえ方であるが、材料は、年齢や個性、価値観の異なる女性たちの生き方8種類を
贅沢に揃えることから始まる。

1-雑文筆家で古本屋を営む、気のいいおひとりさま。
2-三十路を過ぎ、ひとりで生きていくと決めてマンションを購入した編集者。
3-面倒見のいい、ごはんや「道草」の女将。
4-料理ができず、夫に愛想を尽かされたアメリカ生まれの妻。
5-アラサーで恋に疲れた、制作会社のアシスタント・プロデューサー。
6-元夫のBAR「ロマ」を手伝う、4人目を出産前の元妻。
7-安くて簡単なひき肉料理が得意。「わたしってひき肉みたいな女」という古着ショップの店員。
8-耳のモデル、2児のシングルマザー。

材料の持ち味を引き立たせるために、秘伝の調味料を加える。
男の勝手わがまま……大さじ2杯。
女の意地……中さじ2杯半。
粉末の笑い茸を好みに合わせて適量。
以上を用意し、こしらえるタイミングを見計らって適宜振りかけるだけ。
仕上がるまでの時間は、1時間52分。この間、目を離してはならない。
材料の細やかな変化、それぞれの絡みあいを見逃してしまうと、うまさを損ないかねないからだ。

仕上がりの味わいは、多くの女性の味覚と生き方を満足させてしまうコクと香り、
あしたも元気にやれそうと思わせてしまうエネルギー感がしっかりと伝わってくる。

ただ、残念なことがひとつ。
男たちの味覚に合うか?と問われ、イエス!と即答できないことだ。まずは、男も食べるしかない。

そうそう、観終えたらきっとそうなるだろうから、生たまごと満月を予め用意しておくとよい。
人生をうまく食べられる幸せを実感できるはずだ。

2018.9.7試写/T

2018年9月21日(土)全国ロードショー
 

顔たち、ところどころ/Visages Villages

  • 2018.08.27 Monday
  • 11:05

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顔たち、ところどころ/Visages Villages

 



♯137


やっぱりフランスは、アートな世界だ。
顔写真を撮り、大きく引き伸して壁に貼る。
そうすることの意味を問うどころか、
誰もがモデルになることを楽しみ、共に作品を前に語り合う。

このドキュメンタリーは、観るひとのこころまで参加させてしまい
登場する人たちと一緒にわくわくしてしまうドラマティックな作品だ。

タイトルからは、作品の内容は想像できない。
初めに、カメラにタイヤを取付けたような愉快なクルマが走り回る。
それは、写真家でアーティストでもあるJR(37歳:作中)のスタジオ付きトラックであった。
JRは、女性映画監督(87歳:作中)と出合ったことから、ユニークな旅を計画。
彼女は、ヌーヴェルヴァーグの祖母と称される巨匠:アニエス・ヴァルダ、ゆえに先々の展開は未知数。
JRが運転するトラックで一緒にフランスの村々を巡り、出合った人たちの写真を撮り、
それをぐん!と拡大したポートレートにしてストリートや家の壁、コンテナなどに貼り出してしまう。

二人の活動を観ていると「あ〜、自分も参加して楽しみたいな〜。
写真に撮って壁に貼ってもらえたらどんなに愉快だろうな〜」という気分に満たされる。
現に村のモデルたちも協力的で貼り出されたポートレートを観賞しながら顔をほころばす。

旅はどこまでも続く。活動は、さらに深まる。
海岸沿い、崖から落ち朽ちた巨大な要塞にかつてヴァルダが撮影した写真を目一杯貼る。
しかし、満ち潮の波で消されたしまうのだが、それがアートなのかもしれない。
また、ヴァルダはJRを親友のゴダールに合わせてあげたいと彼の家を訪れるが、
ゴダールは、意図的か?約束をすっぽかして不在。
アーティストの行為は、理解の枠を越えた意味を含んでいるのか、本作のコンセプトと重なる。
悲しむヴァルダ、優しくなだめるJR。椅子に座った二人の後ろ姿こそ素敵なポートレート。

作品に対する意味を問うことを無意味なこととしてしまいそうな
奥深い、アーティスティックなドラマを感じる。

2018.8.21試写/S

2018年9月15日(土)シネスイッチ銀座ほか、全国順次公開
名古屋/伏見ミリオン座
 

泣き虫しょったんの奇跡

  • 2018.08.21 Tuesday
  • 14:18

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泣き虫しょったんの奇跡

 



♯136


昨今、将棋の世界が賑やかしい。
本作は、その時宜にかなう作品である。

プロ棋士を志すも挫折してしまう。一度はあきらめるものの再度挑戦。
厚い壁をぶち破り夢を実現した“実話”の映画化。
将棋ファンなら承知であろう、しょったんこと瀬川晶司、その人の物語だ。

プロ棋士は、対局することで勝っても負けても対局料を受け取ることができるそうで、
勝てばもちろん、段が上であるほど額は増える。
だから好きな将棋を生業とできれば素晴らしい人生!ということに…… しかし、……

しょったんは小学5年生のと、き中学生の谷川浩司がプロになるという二ュースに刺激されて
6年生になると“自分も”という憧れを抱く。
当然、その道は細く険しく、厚い壁も立ちはだかる。
プロ棋士の養成機関「奨励会」に入会でき、さらに26歳までに四段に昇段できなければその道は断たれたしまう。
まさに、しょうたんがそうだった。まわりの支援を受けながらも夢は潰えてしまう。

本作は、吹けば飛ぶよな将棋の駒にかけた思いを描き出すわけだが
将棋盤上だけの戦いから棋士の秘めた気迫、葛藤、くやしさ等々内面の表現だけをもって
映画を観る者の感情を揺さぶるのは難しかったことだろう。

終始、駒を打つ音だけが響く。

26歳で社会の荒波の中に放り出されたしょったんだったが、「自分のためだけの将棋は終わったんだ」と、
再度プロを目指せと背中を強く押してくれた親友の言葉に迷いが吹っ切れる。
だが、「奨励会」の他に道はあるのか?

奇跡的にせよ、プロになれたしょったん。2012年に五段に昇段、現在48歳、
それにつけても、藤井聡太七段の凄さを再認識させられた作品でもある。

2018.8.17試写/C

2018年9月7日(金)全国ロードショー
名古屋/ミッドランドスクエア シネマ、伏見ミリオン座、ほか
 

運命は踊る/FOXTROT

  • 2018.08.08 Wednesday
  • 09:30

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運命は踊る/FOXTROT

 



♯135


正直、よく理解できなかった。
いちばんの原因は、三部構成になっていることが解らなかったために、物語の展開に違和感を覚えてしまったこと。
タイトル(邦題)の意味をイメージできていなかったこともある。
最後の最後で、「あ〜、そういうことだったのか」と気づいたときは、エンディング。

物語は、軍の役人が夫婦のもとに息子の戦死を告げるシーンから始まる。
毋は、ショックのあまり床に伏してしまう。父も冷静を保つも軍人に対するいらだちは抑えきれない。
なのに、戦死は誤報であった知らせが届く始末。
毋は、生きていてくれて良かったと安堵するが父は怒りを露にする。
市民を翻弄する軍に対してであったり、戦争そのものへの憤りからだ。
そして、息子を戦地から呼び戻すように軍に要求。
そうした展開なのに、シーンは突然水たまりの中を歩く若い軍人を映し出す。
どういうこと?
つまりは、ここから第二部だったわけで、生きていた息子の戦地での状況が戦争の意味を問いかける。
イスラエル北部の国境付近、ラクダが通るのんびりとした感じではあるが、戦場なわけで。
4人の兵士が検問所の任務に当たっているかと思いきや、銃を縦に持ってマンボを踊り出すではないか。
何ということ?
兵士たちは、フォックストロット(原題)について閑談していたわけだ。で、実際、そのステップを踊ってみせる。
そうした間延びしたような検問所で不慮の事故が起きてしまう。原因は、息子の誤射だった。
事故の後始末の最中、上司の電話にその息子を帰還させるよう指令が入る。

またしても突然、シーンが変わり、やつれた夫(父)が、自分の家だったはずの部屋で
妻に早く出て行くように迫られ、「自分の物を取りに来ただけだ」と弱々しく答える。
第三部に移っていた。
夫婦は、出逢った頃の思いを本音で話す。そしてマリファナを吸ったことで気持ちが和らぎ、
フォックストロットのステップで踊り始める。夫婦の仲はとり戻せるのか?
そもそも何があったのか?

本作の核心は、フォックストロットという踊りのステップに秘められていたのだ。
両脚を交互に、前へ、前へ、右でストップ。後へ、後へ、左でストップ。…すると元の位置に戻る。
運命も一時逃れることができたとしても、変えることはできず定められた位置に、ということか。

そのことが、最後の最後で描き出され、第三部の夫婦の成り行き、その理由がわかるという構成だ。

三部構成の展開を知っていれば、いささか理解は深まり作品への違和感はなかっただろうに。
さておき、本作は、名だたる国際映画賞を数々受賞しており、
この度は、自らの映画作品に対する理解度の低さを自認するることになった次第である。

2018.8.3試写/S

2018年9月29日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、ほか全国順次ロードショー
名古屋/伏見ミリオン座
 

ヒトラーを欺いた黄色い星/DIE UNSICHTBAREN

  • 2018.07.27 Friday
  • 15:17

JUGEMテーマ:試写会

 

ヒトラーを欺いた黄色い星/DIE UNSICHTBAREN

 



♯134


ただ、ユダヤ人であるということだけで。
第二次世界大戦下、約600万人もがヒトラー率いるナチス軍によって虐殺された。

本作は、ベルリンにおいて終戦(1945年)まで生き抜いた4人のユダヤ人の証言をもとに
戦時をサスペンスフルにドラマ化したものである。当時、16歳から20歳の彼らはいかにして生き抜いたのか。

1943年6月、ゲッベルスは16万のユダヤ人をベルリンから一掃したと宣言。
つまり、彼ら全員をガス室送りにしたぞ、というわけだ。何のために?
実際は、7000人が市内に潜伏していた。そして、1500人が生き抜いた。
監督は、最も興味深い4人の生存策に焦点をあて、市民視点の戦争を描き出した。

ドイツ兵になりすました20歳、戦争未亡人を装う20歳、
髪をブロンドに染めて別人を名のる17歳。16歳は、ヒトラー青少年団の制服を着て身元を偽る。
街中では、ゲシュタボが執拗に身分証をチェックする。
脅えと緊張感あふれる毎日、それに加えて空腹、寒さ、孤独に耐えなければならない。
寝泊りする所も定まらず、精神状態は限界に達する。

観ていて、厳しい監視を逃れる4人と同じ緊張感が恐怖となって伝わってくる。

実は、ベルリン市民の多くは、ユダヤ人が助けを求めて飛び込んでくると直感的に手を差し延べたという。
彼らを匿うことは、自らの死にもつながりかねないことを解っていても、である。

4人の証言者は、権力者のごう慢と横暴を命をかけて体感した戦争の語り部である。
我が住む国にいても、一刻も早く同様のコンセプトでの作品の制作が必要だ。証言を聴きだせるうちに。
戦争を知らないおとなたちに、知っておくべきこととして、戦闘シーンに頼らない市民視点の作品。
これまでアニメ作品にあったことは知るが、本作の手法を用いれば訴求力が格段に強まるはず。

いかなる名目であれ、すべての戦争は市民に死の恐怖と極限の生活を強いる。
本作でも出てくるが、戦争を指揮する連中は戦時下でも旨いものを食べ笑い酒を酌み交わす。
父に聞いた話(父の証言)だが、太平洋戦争でも同様の連中は享楽をむさぼっていたという。

他国の過去の話ではない。実際の証言に基づくだけに、観ておくべき作品のひとつであろう。

2018.7.19試写/C

2018年7月28日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、ほか全国順次ロードショー
名古屋/8月11日(土)名演小劇場

 

追想/On Chesil Beach

  • 2018.07.12 Thursday
  • 08:53

JUGEMテーマ:試写会

 

追想/On Chesil Beach

 



♯133


「じゃ〜、どうすれば良かったんだ」
観終えて、誰もがきっとそう思うに違いない。

結婚式を終えたばかりの二人、感情的な出来事で人生が狂ってしまうなんて。
人生は逡巡そのものと言ってしまえば、あまりにも素っ気ないが、運命は若い二人に過酷な決断を強いたものだ。

1962年、ロンドンはまだ保守的な社会にあった。
実業家で厳格な父と過保護な毋、裕福な家庭で育ったバイオリニストの妻フローレンス。
彼女は、カルテットの一員として大きな舞台でコンサートを開くことを夢みていた。
学校教師の父、脳に損傷を負った毋、歴史学者を目指して田舎町で自由に暮らしていた夫エドワード。
接点のないはずの二人であったが、英題でもあるチェジル・ビーチへ新婚旅行で訪れた。
ホテルでは、ワインで乾杯して食事を楽しむ段になったが、どうにも会話がはずまない。
ナイフ、フォークの扱いがぎこちない。堅苦しい雰囲気に戸惑う二人。

作品は、そうした二人の成りそめや、フローレンスのこころの片隅に残る不安を追想するように描き重ねる。
実は、式を挙げることに躊躇しながらも周囲の思いを汲み、決めたこととしてこの日を迎えていたわけだ。
エドワードにも、フローレンスの家庭との環境の違い、彼のことを“田舎者”と言い捨てる義理の毋、
そして、自分の母親のことも、重苦しい食事の理由のひとつとして追想される。

とても巧みな構成で、まるで小説を読んでいるような気分になる。

とうとう、フローレンスはホテルを飛び出し、ビーチへ逃げ出してしまった。
取り残されたエドワード、腹立たしさを抑えながらも後を追う。
口げんかが始まる。互いは、思ってもいないことを口にしてしまい……
ビーチでのシーンはシンプルな構図で落ち着いて、二人の素直な気持ちを推し量るのに効果的だ。

物語は、ビーチでの出来事から、その後の人生へと続くが、
最後の最後、数十年前のビーチでの喧嘩の後の追想が用意されていた。
広がるビーチを映し出したスコープサイズの画面右に、二人が立ちすくみ、
フローレンスの言葉を受け入れず、エドワードは左へ歩み出す。
画面は動かず、二人の距離は広がり、あっ、エドワードが左に消えた。そのまま、エンドロール。

「だから、その時二人は、どうすれば良かったんだ」
なぜか、柴田翔の『贈る言葉』が思い浮かばれた。

2018.7.9試写/C

2018年8月10日(金)TOHOシネマズシャンテ、ほか全国ロードショー 名古屋/伏見ミリオン座、ほか
 

判決、ふたつの希望/THE INSULT

  • 2018.07.06 Friday
  • 17:24

JUGEMテーマ:試写会

 

判決、ふたつの希望/THE INSULT

 



♯132


レバノンの映画、正直、ちょっと難解である。
ストーリーはよくわかるし、社会的メッセージ性の高さも理解できる。

ふたりの男の“ささいな”諍いが原因で、国全体を揺るがす争乱へと拡大してしまう物語。
観て難解なのは、“ささいな”はずが、そうでない状況がこの国には潜在しているし、
その発端に民族、宗教、政治、歴史が複雑に絡みあっていて、
それらの一つひとつの違いが、国民一人ひとりを人格づけ行動につながっている、
そのことへの知識が浅いからだ。

レバノンの首都ベイルートの住宅街、ふたりの男の間でで起きたこと。
どちらかが先に謝れば、それで済むはずだった。

住宅の補修作業を行っていた現場監督でパレスチナ難民のヤーセル。
作業の折り、バルコニーからの水漏れで服を濡らしてしまう。原因は、トニーの水やり。
ヤーセルは、トニーの顔を見上げて文句を言う。それは、ふたりの間では言ってはならぬ“一言”であった。
キリスト教系政党の熱心な支持者でかねてからパレスチナ人に反感を抱いているトニーは、
自らの尊厳を傷つけられたと許せない。が、ヤーセルが謝りさえすれば許す思いでもあったが。
ふたりの男に潜在する「対立」は、簡単にはほぐれない。
トニーも、ヤーセルの琴線に触れる“一言”を口にしてしまう。それは、暴力沙汰への導火線に。

本作の英題/INSULTは、侮辱という意味。
侮辱されたふたりの怒りは、収まることなく法廷の場へと裁定を求める。
トニーは、切れ者弁護士に控訴審の代理人を依頼。
対して、この件はパレスチナ人へのヘイト・クライムだと考える女性弁護士がヤーセルの弁護を申し出る。

控訴審は、真っ向対立。弁護人は、論陣を張る。
傍聴人たちは、自分が肩入れする側の立場で騒ぎ出し法廷の外でも衝突。
メディアがその状況を大々的に報じる。
ふたりの男のことはそっちのけで、裁判の「対立」は、街での暴動、さらに大きな政治問題へと炎上。

「対立」の構図は根深く、わが住む国からでは解りにくい。
国民一人ひとりに内在している複雑な「対立」は、いつどこででも表面化しうる。
問題は、いかにして収束するかであるが、本作は、難しさを解きほぐし冷静に諭してくれる。

2018.7.3試写/S

2018年8月31日(金)TOHOシネマズシャンテ、ほか全国順次公開 名古屋/伏見ミリオン座

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