パンク侍、斬られて候

  • 2018.06.04 Monday
  • 20:53

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パンク侍、斬られて候

 



♯129


あなどれない。
本作は、時代劇のふりをして、その枠を完璧に突き抜けたパンク劇である。
心して観なげれば、凝り固まった常識頭など破裂してしまう。

手始めに、自らを超人的剣客とおごるプータロー侍、見参。
黒和(くろあえ)藩での就職を目論みハッタリをかます。
藩では、家老どもによる権力争いの真っ最中。
そこで、奴のハッタリを活かして争いに勝とうと企むも未曾有の事態が勃発。

よくある展開ではあるが、そうは問屋が卸さないのが本作の神髄。
腹を激しく振りゆらしながら練り歩く“腹振り党”なる怪しい民衆が現われ暴徒化して物語を壊していく。
で、この“腹振り党”の衆が、今日わが住む国の民と見事に重なりあうわけで、制作者の意図はここにありと確信。
家老どものやり口は、嘘を嘘で塗り固め逃げ回る首相とか総理とかを連想させ
腹を振るは、権力に尾を振る昨今の役人に。
無気力に群れる様子は、何も考えずスマホに目をやり、人の後を付き歩き列に並ぶ、
政治など他人事のように関心を示さない民、そのもの。
超ド級のやゆ、風刺が全編を貫いている。

さてさて、“腹振り党”の出現で権力争いなどしている場合じゃない。藩がぶっ壊れてしまう危機にあるわけで。
プータローのパンク侍、いよいよ活躍の条件が整った。
“腹振り党”と真っ向勝負で藩を救うことに……。となれば、これもよくある展開。

危機に陥った藩を救うのは、猿、それも言葉を巧みに操る立派な猿である。
えっ!猿?
何でもありの発想には、ぶったまげちまっただ。
加えて、念動力を使える底抜けの阿呆が思わぬ働きをする。その手があったか監督さん。

物語は、実に小気味よいテンポで観る者を引きずり回す。
余計なシーンがないばかりか、脚本が良く練られていて台詞に無駄がない。
奇妙奇天烈な画面をまともに鎮めて、もう哲学の域。
前代未聞の娯楽作品と謳われているが、まっことその通り。観る者全員、斬られて候。
このパンクは、あなどれない。

2018.5.29試写/T

2018年6月30日(土)全国ロードショー
 

告白小説、その結末

  • 2018.05.28 Monday
  • 11:07

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告白小説、その結末

 



♯128


本作は、友人を誘って観るのがいい。
観終えて互いにどのように捉えたのかを語り合うと「えっ、そんな風に…?」と、
自分と異なる興味深い感想が反って来るに違いない。
二人のヒロインが登場するのだが、エル(彼女を意味する代名詞)と名のる人物が何者なのか
捉え方によっては、いかようにも、というか、どうも判然としないのである。
エルの狙いも捉え方次第で、これぞ戦慄のミステリー。

もう一人のヒロイン、デルフィーヌは、
心を病んで自殺した毋との生活を著した作品がベストセラーとなった小説家である。
で、次作を期待されるも極度のスランプ状態でテーマも見つからず意欲がわかない。
ゆううつな気分のままでサイン会に臨むも、早々に打ち切りたい。
そんなデルフィーヌの前に、彼女の熱狂的なファンであるというエルが現れる。
エルは、優秀なゴーストライターであるというし、デルフィーヌは彼女といると妙に落ち着く。
デルフィーヌに対して献身的で本音で語り合えることから、二人の共同生活が始まる。

観ていて、ここまでは確かに二人が存在している、ように思えるのだが。

生活に慣れるとエルは、時折ヒステリックに豹変するし、行動も不可解。
当然、仲たがいが生じて別れてしまう。
ある時、デルフィーヌはアパートの階段から転げ落ちて脚にギプス、松葉杖の羽目に。
そこにまた、エルが居合わせて彼女に寄り添うことに。そして、二人は別荘に移り住むことにし、
デルフィーヌは、執筆活動に専念する。そのつもりであったが、ここでもエルの行動がおかしい。
むしろ怖くなる。デルフィーヌは、エルに殺されてしまうのではないかという気配がひしひしと。

これは、もうサスペンス。もしかすると、この時点のエルは、デルフィーヌの幻想ではないのか。

ポランスキー監督の思いのままに引き回されて、エルは実在するのか、
否、小説が書けず追い込まれたデルフィーヌの心理状態のエルなのか、よくわからない。
この点を一緒に観た友と語り、捉え方の違いを知るのは面白いだろう。白熱するはずだ。
現実とフィクションの境目を曖昧に描くことで観る者を惑わすように仕掛けてあるのだから。

とことん惑わされた、「その結末」はラストシーンですっきりするはず、否、しない。
だからこそ、友人を誘い、観た後で違う感想を比べ合い納得するしかない。

2018.5.23試写/C

2018年6月23日(土)公開 名古屋/伏見ミリオン座

オンネリとアンネリのおうち

  • 2018.05.21 Monday
  • 13:06

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オンネリとアンネリのおうち

 



♯127


フィンランドの児童文学から、二人の仲良し女の子が飛び出した。
ちょっとおませな7歳。
ひとりは、オンネリ。9人兄弟のまん中で両親は忙しく、彼女がいなくなっても気づかない。
そして、アンネリは、別れた両親の間を行ったり来たり。
こちらの両親も多忙で、彼女とゆっくりとした時間を過ごせない。
そんな二人は「自分たちのおうちが欲しいね」と願う。すると二人が正直者だったために
バラ通りに建つ、夢のような水色のおうちに住めることになる。

原作は、フィンランドで長く愛されているマリヤッタ・クレンニエミの文学作品。
正直であること、自分らしくあること、異なる考えを受け入れることの大切さがさりげなく描かれ
二人と同世代の子どもにも楽しめる物語であり、
大人であれば、観る者自身の素直さと寛容さが試される。

二人のおうちのお隣さんは、気難しい一人暮らしのご夫人、魔法を使える陽気なおばさん姉妹。
ご近所には、ちょっと変わった人が住んでいて、わくわくいっぱいの毎日が繰り広げられる。

北欧の家具、インテリア、食器、小物も魅力的で、二人の服もおませでキュート。
監督は、3人の子どもをもつ女性監督ということもあってか、温かく優しい気遣いが伝わってくる。

さて、二人の暮らしは、お隣さんとの考え方の違いや価値観のズレなどでトラブルじみたことは
起こるが、みんなと一緒に解決して大事にはいたらない。はずであったが、
お隣に泥棒が入ったことで、これまで通りとはいかなくなる。
ましてや、親たちは、娘がいなくなったことに気づかないままなのだから。

当初に語られる「出来事には、理由がある」という台詞こそが物語の骨格を成しているようで、
二人を子ども扱いすることなく、大人たちと同じ目線で社会を見据えて問題解決に取り組む。

たまには、こんな作品で大人のサビを落としたいもの、とつくづく実感させられた。

2018.5.16試写/S

2018年6月9日(土)YEBUIS GARDEN CINEMA、ほか全国順次公開 名古屋/6月23日(土)センチュリーシネマ
 

万引き家族

  • 2018.05.15 Tuesday
  • 11:27

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万引き家族

 



♯126


何ともほほえましい家族(ホーム)ドラマである。
そろって打ち上げ花火の音を聞きながら語らうシーンや渚で波と戯れるシーンは、
“家族”の理想像を描き出すうえで効果的だ。
とはいうものの、反社会的な万引き行為で暮らしを保っているわけで、望ましい“家族”ではない。
とはいうものの、この“家族”ではあたたかいコミュニケーションが図られていて、
むしろ、今日の“家族”に足りない、あるいは失われてしまった何かを浮彫りにしていて、
観終えてじんわりと考えさせるモノがある。で、“家族”とは、と考えてみた。

国語辞典は、“同じ家に住み生活を共にする血縁の人人”とある。
ところが、本作のそれは、どうもうさん臭い、家族もどきではないのか。
祖母の年金を目当てに、いまにも壊れそうな平屋に転がり込んだ夫婦とその息子、
加えて妻の妹の4人。夫婦と息子の血縁はなさそうだし、
父に「学校は家で勉強ができない子が行く所だ」と教わり通っていない。
そればかりか、万引きの手ほどきを受け親子で行為を繰り返す。
毋は、万引きすべく品を要求する始末。でも、「それは今度ね」「頼むわ」と和気あいあい。

冬の夜、冷え込む帰り道、父はアパートのベランダに閉め出された幼い女の子を見つけ哀れを感じて
家に連れて行き、妻が介抱する。児童虐待の気配の傷が痛ましい。
幼女は、家には帰りたがらず、この“家族”の一員となり、生活に馴染み笑顔を取り返す。

辞典の“同じ家に住み生活を共にする”という点では、幼女は、立派な“家族”だ。
後でわかることだが、息子も赤ちゃん置き去りの被害者で夫婦との血縁はない、が立派な“家族”である。

女の子がベランダからいなくなったとて、両親は、警察に捜索願をすぐには出さずにいて、
ひょんなきっかけで見つかるや「心配して探していたのよ」と報道陣の前でいい親を演ずる白々しさ。

さて、頼りにしていた祖母の年金だが、その祖母が突然亡くなる。
年金の受給ができなくなるが、そこで、この件は“家族”だけの秘密として全員一致。
現実、これと同様の出来事が報道され、唖然とさせられるわけだが
本作は、万引き行為をネタとして、この“家族”にも劣る今日の“家族”の姿を
シニカルに描くカタチで奥深いメッセージを投げかける。
今日の“家族”が滑稽に思えて面白い、実に面白い。
観る者にそつなく問いかける構図の巧みさは、さすが、是枝裕和監督の仕業だ。

2018.5.9試写/G

2018年6月8日(金)全国公開 名古屋/TOHOシネマズ名古屋ベイシティ、他
 

サバービコン 仮面を被った街/SUBURBICON

  • 2018.04.18 Wednesday
  • 17:47

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サバービコン 仮面を被った街/SUBURBICON

 



♯125


1950年代のニュータウンが舞台である。
街の名は、作品のタイトルでもある「サバービコン」。
あこがれの暮らしを実現するインフラも充実した、アメリカン・ドリームの街。
とうぜん、笑顔にあふれたた明るいファミリードラマが繰り広がられているはずであったが、
隣り合う家族に起きた二つの出来事は、今日まで続くアメリカの病巣をえぐり出し、
人間誰もが秘める醜さをさらけ出してしまった。

ひとつの出来事は、人種差別暴動だ。
「サバービコン」の白人コミュニティに、黒人一家が越して来た。
すると白人たちは、ただちに黒人排除の行動に出る。
これは、1950年代に起きた実際の暴動に基づくモチーフである。
どこかの大統領のように、高い壁で家を囲み、外から見えないようにしてしまう。
さらに騒音の嫌がらせだ。自分たちもうるさいだろうに、老いも若きも寄ってたかっての呆れた行動を続ける。
もうひとつは、そのお隣りに押込み強盗が侵入し殺人事件が発生。
その後も、犯人に毋を殺された少年の身近で、次々とひとが死んでいくではないか。
少年にしてみれば、大人たちは、みんな怪しく信じられない。父も、おばさんも。

二つの出来事には関連がなく異質であり、それが並行して描き出されるために違和感を覚える。
これが制作者の狙いであることは、ラストの二人の少年のキャッチボールが意味深く
実によく計算された巧みな構成に感心する。

味付けもいい。
いずれの出来事も暗く重く、ニュータウンとは真逆の夢を打ち砕く内容であるにも関わらず
全編にシニカルのスパイスが効き、オセロゲームのように優勢と劣勢がリズミカルに交差し滑稽で
それゆえに、人間の醜さ、愚かさ、自分ファーストの幼稚さ、情けなさが浮彫りにされるのだろう。
そうそう、ヒッチコックのスパイスも隠し味になっているに違いない。

余談になるが、50年代のアメ車が多彩に登場し旧車ファンにはたまらないだろう。
ファッションや家電製品も忠実に選択したとあって、これらも見逃せない。

さらに余談を。タイトルの「サバービコン」では、作品の内容をイメージできない。
そこで「ニュータウン・クライシス」を提案したいのだが、誰に向かって言えばいいのやら?

2018.4.12試写/C

2018年5月4日(金)TOHOシネマズ日比谷、他全国ロードショー 名古屋/TOHOシネマズ名古屋ベイシティ、他
 

ファントム・スレッド/PHANTOM THREAD

  • 2018.04.15 Sunday
  • 10:00

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ファントム・スレッド/PHANTOM THREAD

 



♯124


ファントムは、幻の-、見えない-、という意味。スレッドは、糸。
この物語は、1950年代のロンドン、オートクチュールでの出来事を“見えない糸”と形容した。

決して出合うはずのないオートクチュールの仕立て屋ウッドコックと、
いなかのレストランで気ままに働くウェイトレスのアルマ。

ウッドコックは、王族や貴族の夫人を上客に英国ファッション界で脚光を浴びる。
職人気質で気難しく、他人の考えなど受け入れることのない独裁者のようでもある。
そんな彼を理解し支え続けているのは、姉のシリルだけ。

疲れて仕事に集中できなくなったウッドコックに、シリルは、別荘で休暇を取るようにアドバイス。
素直に車で出かける弟の顔は、どこか穏やかである。
で、立ち寄ったレストランで彼は、気遣いもなく揺る舞う背が高く質素なアルマに目が止まる。

本作は、前半と後半の主人公が入れ替わるような展開である。
前半は、ウッドコックのわがままさに少々うんざり感さえ覚えて物語に入り込めない。
ある時など病気になってしまうと独裁者は気弱な羊に豹変してしまうし、観ていていら立ちが先に立つ。
それが後半、彼の思うようにならない感情豊かなアルマの登場で、お洒落な空気に変わり、
あのイライラ感はどこへやら。
だが、“見えない糸”で繋がれたはずの運命の糸が絡み出す。
ウッドコックとの日々に慣れ、我を張るようになったアルマの行動は、どこかサスペンスの気配に。
彼女は、彼を意のままに扱う手立てを見つけてしまうのである。
その手は、独裁者を羊に変えてしまうこと。そこで、サスペンスの度合いが一気に高まる。

イライラからハラハラ、ドキドキへの展開が見事で、いつの間にか制作者の糸に操られてしまう。
ただ前半から後半への流れで、作品の性格が変わったりはしない。
それは、二人のどちらにも組みしない姉シリルの存在があってこそだが
彼女の押さえ気味の自分表現が、作品の落ち着きを保ちセンスの良さを醸し出す。
制作者も観る側も、大人ならではの作品といえる。

ところで、タイトルを「ファントム・スレッド」よりも「サスペンス・アルマ」としたら
映画館に足を運ぶ動機を高めるのではないだろうか。
ウッドコックは、受け入れてくれないだろうけど。

2018.4.5試写/S

2018年5月26日(土)シネスイッチ銀座、他全国ロードショー 名古屋/伏見ミリオン座
 

ホース・ソルジャー/12 STRONG

  • 2018.04.09 Monday
  • 11:11

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ホース・ソルジャー/12 STRONG

 



♯123


まるで往年の西部劇のようである。
そこは荒野で、ネルソン大尉の率いる12人の戦士が馬にまたがり銃を構えて多勢と激突する。
2時間10分の作品だが、そのほとんどは戦闘シーンで息衝く間もない迫力。
銃弾を恐れぬ戦士の勇敢さに圧倒されてしまう。

ところが西部劇ではない。アメリカにおいて最高機密として封印されていた闘いの実話なのである。
能天気に「スゴい!」「面白い!」ということでは済まされない。

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ勃発。国際センタービルはもろくも崩れ落ちた。
首謀者のビン・ラディンが支えるタリバンへの反撃は当然のプログラム。
一月後の10月16日、ネルソン大尉を長とする陸軍特殊部隊の12人は、ウズベキスタンに到着していた。
そこからテロ集団の拠点であるアフガニスタン北部の都市を制圧するために隊を進める。
戦地は険しい山岳地帯で、3週間もすれば雪に覆われてしまうし、テロの襲撃は予測できない。
彼らをガイドし共に闘うのは、反タリバンである北部同盟のドスタム将軍と仲間の200人。
この地の最強の武器は“馬”だという将軍の言葉に驚く12人。しかも敵勢が5万人とは。
大尉は実戦の経験がないうえ、隊員たちは乗馬の体験すらないという。

戦闘はすぐさま始まる。
タリバンは、ロケット砲をかつぎ最新のミサイルで攻めてくる、なんと戦車も突然飛び出してくる。
一人の部下も死なせないと決意する大尉のフトコロには、国際センタービルの破片が“お守り”のように忍ばせてある。
対するタリバンの兵士たちは闘い死ぬことが神に仕える者の誉れだという考え方。
投降してくる兵士も居るが、おちおち信じられない。自爆テロを戦術とする輩である。

それにつけても戦闘シーンは、迫力にあふれる。
うなりを上げて飛んでくるミサイルをも恐れず“馬”を蹴る戦士。誰だってハラハラさせられる。
「行け〜っ!」と気持ちが叫ぶ。
創作なら素直に楽しめるのだが。

なぜ封印された戦いなのか、テロが起きるのかを問う作品ではない。
テロに屈することなく闘う12人を讃えるかのような、そう、戦争をする国の実話、なのである。

最後に、ネルソン大尉がフトコロに忍ばせていたビルのかけらを戦地に埋めるシーンがあるが
どこか往年の西部劇のような。

2018.4.4試写/G

2018年5月4日(金)全国ロードショー 名古屋/ミッドランドスクエア シネマ、ほか
 

ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた/STRONGER

  • 2018.04.05 Thursday
  • 08:42

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ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた/STRONGER

 



♯122


実話である。物語だから脚色はある。
2013年4月15日、ボストンマラソンで起きた爆弾テロ。3人が死亡し282人が負傷した。
負傷者のひとりジェフ・ボーマン(27歳)と彼を救い出したカルロスは、全米のヒーローになる。

ジェフは両脚を失いながらも犯人を目撃していたことで、犯人の逮捕に貢献したのだ。
カルロスは果敢に現場に飛び込み、その彼を救い出し車椅子で運び出すシーンが報道された。
そして、テロに屈しない“ボストン ストロング”というスローガンの象徴的な存在になる。
そうなれば、メディアの取材対象になり注目される、スポーツイベントにも引っ張り出される。
毋は、「息子は、ヒーローよ」と誇らしげに振る舞うが、息子の本心を理解しようとはしない。

マラソンの前日、ジェフは仕事から抜け出すようにしてバーへ急ぎ野球を観戦する。
そこに別れてはヨリを戻したり、優柔不断な付き合いをしていたエリンが偶然立ち寄った。
彼女は明日のマラソンで走るという。またもヨリを戻したい思いから応援に行くと約束するジェフ。
適当に対応したエリンだったが、ジェフはいつになく約束を守りゴール近くで彼女の走破を待つ。
そう、テロ現場で。

エリンは、自分のことでジェフが両脚を失ったと自責の念を抱き、彼を支えることを決意するが。
あそこに行ったばかりに、シャワーも浴びられない、トイレもままならない自分と
ヒーローとして担ぎ上げられる自分とのギャップに違和感をもつジェフ。
毋は、有名人がインタビューに来るからとマスコミを受け入れてしまうし、
ジェフの苦しみを察するエリンは、毋と対立してうまくいかない。ジェフには、マザコンの様子も。

ジェフへの注目度は衰えない。
自暴自棄状態のジェフは、酒に酔う機会が増える。
バーで若い衆に絡まれるシーンの会話が印象的で、アメリカの病巣を突いているようにも思える。
「あんたが、ヒーローさんかい?」
「あの事件は、オバマが俺たちをイラクに送り込むために仕組んだ芝居だろ」
「ギャラは、いくらだったんだ」

救い出してくれたカルロスと再会の折り「戦死した息子と同じ年頃のキミは、両脚を失いながらも
気丈に活動している姿に勇気を覚える」と言われ、しっかり生きるように励まされる。
戦場で兄弟を亡くした青年からも同様のことを言われ握手に応えるジェフではある。

テロが起きることを問う作品ではない。戦いに屈することなく立ち向かう被害者を讃えるかのような
そう、戦争をする国の実話、なのである。

2018.4.2試写/S

2018年5月11日(金)TOHOシネマズ シャンテ、ほか全国ロードショー 名古屋/伏見ミリオン座

 

マルクス・エンゲルス/THE YOUNG KARL MARX

  • 2018.03.23 Friday
  • 09:22

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マルクス・エンゲルス/THE YOUNG KARL MARX

 



♯121


本作は、さまざまの視点を許容するように思える。
マルクスの若い頃の“闘争”をテーマに『共産党宣言』を著す(1848年)までの
生きざまを物語るというのもそのひとつである。
当然、マルクスやエンゲルスの思想や哲学的な論点、論争の背景などは
学問の領域に任せておけばよいわけで、本作は、その役を担うはずもない。

とはいいつつも、産業革命がもたらした“光”と“陰”という視点をもって観ると
19世紀中頃の問題が何も解決されず今日に至っていることを知ることになる。
むしろ、根が深くなった状態で日々の働く環境を悪化せていることに気づくはずだ。

“光”がまぶしく輝けば、その分“陰”は濃くなる。格差は拡がり、産業革命の“光”は、
貧困労働者の増大という濃い“陰”生みだした。
貧困にあえぐ労働者は、人間の尊厳を奪われ、不当な労働を強いられ、
社会のひずみは一人ひとりの希望までも打ち砕く。
マルクスは、企業の利益は、労働者の搾取に因るものではないかと問いかける。
独自の政治批判を展開するマルクス。
そんな彼を排除するドイツ。追われてパリへ。
そこでのエンゲルスとの再会。
この、歴史的運命の瞬間を目撃できる。

ふたりの対比とともに、本作は、さまざまな組み合わせでさらなる視点を用意してくれている。
夫と妻、父と息子、理解できる者とそうでない者、理論と感情。
ブルジョワとプロレタリアの対立軸を物語の基本に据えながら。

作品の性格上、論争、闘争のシーンが多い。
マルクス、エンゲルスたちに及ぶはずもないが、いつか過ぎた若い頃が忍ばれてなつかしく思う。
そんなタイミングでボブ・ディランの「ライク・ア・ローリングストーン」が流れ出すではないか。
スクリーンには、20世紀の事件と闘いに身を呈した面々が生き生きと映し出される。
すると訳もなく涙が映像をぼかしてしまう。はてさて、おだやかな論争をしたくなった。
…………そんな困った作品である。

2018.3.16試写/C

2018年4月28日(土)岩波ホール、ほか順次公開 名古屋/名演小劇場

さよなら、僕のマンハッタン/The Only Living Boy in New York

  • 2018.03.10 Saturday
  • 21:11

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さよなら、僕のマンハッタン/The Only Living Boy in New York

 



♯120


人生に悩む青年:トーマスが、ラストで自らの意志で明日への一歩を踏み出す青春ドラマである。
こう言い切ってしまったら身もふたもないが、
トーマスに何があったのか、何事がトーマスをそうさせたのか、巧みな展開が用意されている。

物語は、出合い、家族、自らのルーツが絡みあいトーマスを混乱させる。
まず、おかしな隣人と父の愛人との出合いは、裏に仕組まれたものがあるような気配が拭いきれない。
毋は、躁うつ病で不思議な行動をとり、トーマスも気を揉むが自分は人生迷走の真っ最中。
両親の仲は決して悪いようではないのに。
で、本作のカギは、どうもトーマスのルーツにあるようで、それを知るタイミングは、トーマスならずとも
観ているこちらも衝撃を受ける。

青年期の“混乱”、それを越えた親世代の思い出にまつわる“混乱”。
味わい深い物語がニューヨークの風とともに繰り広げられる。

作品全体、どこかノスタルジックな面持ちで、いつかみた世界を感じてしまうが、
それもそなはず、折々に流れる懐かしい名曲が厳選されているのだ。
ニューヨークといえばジャズだが、ハービー・ハンコック、ビル・エヴァンス、ディヴ・ブルーベックたちがスゥイング。
ルー・リードたちのロックが街の賑わいを深める。
ボブ・ディランの曲も酔わせてくれる。

本作の原題『The Only Living Boy in New York』がポール・サイモンの曲名と同じであることにおきづきだろうか。
『ニューヨークの少年』という邦題。
ゆえに、どこかノスタルジックな雰囲気は、意図されたものであり、青春ドラマならではの特長満載という次第である。
この曲は、ラストシーンでトーマスが悩みを越えて明日への歩みを始める、その彼を

後押しするようにシーンと重なり流れ、観る者みんなをもやさしく包み込む。
そう、映画『卒業』のラストシーンに似て。

2018.3.6試写/S

2018年4月14日(土)丸の内ピカデリー、ほか全国順次ロードショー 名古屋/ミッドランドスクエアシネマ
 

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