追想/On Chesil Beach

  • 2018.07.12 Thursday
  • 08:53

JUGEMテーマ:試写会

 

追想/On Chesil Beach

 



♯133


「じゃ〜、どうすれば良かったんだ」
観終えて、誰もがきっとそう思うに違いない。

結婚式を終えたばかりの二人、感情的な出来事で人生が狂ってしまうなんて。
人生は逡巡そのものと言ってしまえば、あまりにも素っ気ないが、運命は若い二人に過酷な決断を強いたものだ。

1962年、ロンドンはまだ保守的な社会にあった。
実業家で厳格な父と過保護な毋、裕福な家庭で育ったバイオリニストの妻フローレンス。
彼女は、カルテットの一員として大きな舞台でコンサートを開くことを夢みていた。
学校教師の父、脳に損傷を負った毋、歴史学者を目指して田舎町で自由に暮らしていた夫エドワード。
接点のないはずの二人であったが、英題でもあるチェジル・ビーチへ新婚旅行で訪れた。
ホテルでは、ワインで乾杯して食事を楽しむ段になったが、どうにも会話がはずまない。
ナイフ、フォークの扱いがぎこちない。堅苦しい雰囲気に戸惑う二人。

作品は、そうした二人の成りそめや、フローレンスのこころの片隅に残る不安を追想するように描き重ねる。
実は、式を挙げることに躊躇しながらも周囲の思いを汲み、決めたこととしてこの日を迎えていたわけだ。
エドワードにも、フローレンスの家庭との環境の違い、彼のことを“田舎者”と言い捨てる義理の毋、
そして、自分の母親のことも、重苦しい食事の理由のひとつとして追想される。

とても巧みな構成で、まるで小説を読んでいるような気分になる。

とうとう、フローレンスはホテルを飛び出し、ビーチへ逃げ出してしまった。
取り残されたエドワード、腹立たしさを抑えながらも後を追う。
口げんかが始まる。互いは、思ってもいないことを口にしてしまい……
ビーチでのシーンはシンプルな構図で落ち着いて、二人の素直な気持ちを推し量るのに効果的だ。

物語は、ビーチでの出来事から、その後の人生へと続くが、
最後の最後、数十年前のビーチでの喧嘩の後の追想が用意されていた。
広がるビーチを映し出したスコープサイズの画面右に、二人が立ちすくみ、
フローレンスの言葉を受け入れず、エドワードは左へ歩み出す。
画面は動かず、二人の距離は広がり、あっ、エドワードが左に消えた。そのまま、エンドロール。

「だから、その時二人は、どうすれば良かったんだ」
なぜか、柴田翔の『贈る言葉』が思い浮かばれた。

2018.7.9試写/C

2018年8月10日(金)TOHOシネマズシャンテ、ほか全国ロードショー 名古屋/伏見ミリオン座、ほか
 

判決、ふたつの希望/THE INSULT

  • 2018.07.06 Friday
  • 17:24

JUGEMテーマ:試写会

 

判決、ふたつの希望/THE INSULT

 



♯132


レバノンの映画、正直、ちょっと難解である。
ストーリーはよくわかるし、社会的メッセージ性の高さも理解できる。

ふたりの男の“ささいな”諍いが原因で、国全体を揺るがす争乱へと拡大してしまう物語。
観て難解なのは、“ささいな”はずが、そうでない状況がこの国には潜在しているし、
その発端に民族、宗教、政治、歴史が複雑に絡みあっていて、
それらの一つひとつの違いが、国民一人ひとりを人格づけ行動につながっている、
そのことへの知識が浅いからだ。

レバノンの首都ベイルートの住宅街、ふたりの男の間でで起きたこと。
どちらかが先に謝れば、それで済むはずだった。

住宅の補修作業を行っていた現場監督でパレスチナ難民のヤーセル。
作業の折り、バルコニーからの水漏れで服を濡らしてしまう。原因は、トニーの水やり。
ヤーセルは、トニーの顔を見上げて文句を言う。それは、ふたりの間では言ってはならぬ“一言”であった。
キリスト教系政党の熱心な支持者でかねてからパレスチナ人に反感を抱いているトニーは、
自らの尊厳を傷つけられたと許せない。が、ヤーセルが謝りさえすれば許す思いでもあったが。
ふたりの男に潜在する「対立」は、簡単にはほぐれない。
トニーも、ヤーセルの琴線に触れる“一言”を口にしてしまう。それは、暴力沙汰への導火線に。

本作の英題/INSULTは、侮辱という意味。
侮辱されたふたりの怒りは、収まることなく法廷の場へと裁定を求める。
トニーは、切れ者弁護士に控訴審の代理人を依頼。
対して、この件はパレスチナ人へのヘイト・クライムだと考える女性弁護士がヤーセルの弁護を申し出る。

控訴審は、真っ向対立。弁護人は、論陣を張る。
傍聴人たちは、自分が肩入れする側の立場で騒ぎ出し法廷の外でも衝突。
メディアがその状況を大々的に報じる。
ふたりの男のことはそっちのけで、裁判の「対立」は、街での暴動、さらに大きな政治問題へと炎上。

「対立」の構図は根深く、わが住む国からでは解りにくい。
国民一人ひとりに内在している複雑な「対立」は、いつどこででも表面化しうる。
問題は、いかにして収束するかであるが、本作は、難しさを解きほぐし冷静に諭してくれる。

2018.7.3試写/S

2018年8月31日(金)TOHOシネマズシャンテ、ほか全国順次公開 名古屋/伏見ミリオン座

二重螺旋の恋人/L’AMANT DOUBLE

  • 2018.06.29 Friday
  • 11:23

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二重螺旋の恋人/L’AMANT DOUBLE

 



♯131


最後の最後までミステリアスな展開で、迷宮に送り込まれたような思いはいまも拭いきれていない。
フランス映画によく抱く印象で、本作でもその巧妙さに魅了させられてしまった。

パリに住む独身女性クロエ(25歳)は、原因不明の腹痛の悩まされるも病院では異常なしの診たて。
精神面からの症状ではないかと、精神分析医ポール・メイエルを紹介された。
彼は、クロエの話にじっくり耳を傾け穏やかに応えてくれる。
彼女は、こころの安定を取り戻し仕事にも就けた。
腹痛からも解放されていき、合わせてポールへの好意も芽吹く。
やがて、ふたりは一緒に住むことになるが、ここまでは序章。

引越し当日クロエは、たまたまポールの私物が入った箱から彼の古い旅券を目にしてしまう。
ポール・メイエルではなく、ポール・ドォロールという記載。なぜ嘘をつくのかとクロエに最初の疑念が。
そうしたある日、美術館へ通うバスの車窓からポールそっくりの男性を見かけたクロエ。
帰って彼に兄弟がいるかと聞くも、「いない」と突き放すような返事に、クロエにさらなる疑念。
実は、いたのだ、兄ルイ・ドォロール。しかも精神分析医。ポールは、なぜ嘘をつくのか。
クロエは、偽名でルイの診察を受けることでポールの秘密を探ろうとする。
二人は双子。兄ルイは、弟ポールとは正反対の性格。尊大で自己本位で、それがクロエにしてみればちょっと好奇心に。

ストーリーは、現実と妄想、嘘と真実が惑わすように描かれつかみどころのない様相を深めていく。
その分「何が、どうなって、…」とクロエならずとも、ミステリアス最高潮。
そんなクロエの腹痛も、異様な原因で再発。
苦しむ彼女に寄り添うのはポールのはずだが、
どこかの時点で二人は入れ替わっているのではないか。観ていて、それはわからない。
猫が苦手だったポールが、いなくなったはずの猫を小脇に抱えて部屋に入ってくる。やっぱりルイでは?

最後の最後、作品は、ポールかルイかをはっきりさせないままにエンディングロールへ。
さらなる展開は、観る側に委ねたままにしてしまう。フランス映画の真骨頂的な作品、
双子の秘密は迷宮入り。

2018.6.26試写/S

2018年8月4日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、ほか 名古屋/伏見ミリオン座

 

返還交渉人 〜いつか、沖縄を取り戻す

  • 2018.06.22 Friday
  • 15:18

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返還交渉人 〜いつか、沖縄を取り戻す

 



♯130


これは、何をさしおいても観たい作品であった。
以前観た二つのドキュメンタリー作品*が訴えた沖縄の人たちに対する差別と弾圧からの解放。
本土復帰に対する強い願い。
そういった事柄は、返還交渉にどう生かされたのかを本作で知ることができると思ったのだ。

2010年のこと。
沖縄返還における外務省の“密約問題”の調査により、
当時の外交資料のほぼすべてが公開された。そこから、対米交渉、対沖縄折衝の両面で
ひとりの外交官が歴史に残る役割を果たしたことがわかった。
交渉の最前線にいた外務官僚:千葉一夫、実在の人物である。

1952年4月、サンフランシスコ講和条約で日本から切り離され、アメリカの統治下におかれたままの沖縄。
千葉は、講和会議に参加していた上院議員にその理由を問いつめる。
答は「それは日本人が望んだことだ」と素っ気ない。交渉はそんな連中が相手である。

譲れぬ交渉のポイントは、3項目。
核兵器の撤去、核抜き本土並みということ。
沖縄基地から米軍機が出撃する際、日本の同意を得ること。
基地の30パーセント縮小。

外務省内でも一枚岩出はない。
駐米大使など「日本の安全のためには、アメリカが基地を自由に使える沖縄が必要だ」と言い切る始末。
「返してもらうためには、向こう様の言い分も加味しないと」と、言葉を重ねるだけ。
「返してもらうのではない。取り戻すのだ」
「いつになったらアメリカと対等にものが言える国になるのか」とやりきれない千葉。

たしかに、今日においても対等な交渉がなされていないようで、辺野古への基地移転に限らず、
米軍が起こす事件・事故の調査もままならない日本政府。

東奔西走、千葉の実直な交渉は沖縄の人たちにも受け入れられるも、困難を極める。
観ていて、ひとつ気になることが払拭されない。これはドラマである、ということだ。
史実を元にしているとはいえ脚色はある。
交渉内容も、千葉の頑張りにスポットは当たるが、具体的な展開はドキュメンタリーには及ばない。
視点を変えれば、書類の隠ぺいや廃棄を安易に行い、
国会で自己保身の発言をして国民をないがしろにしてしまういま時の官僚よりははるかにマシな外交官がいたとことを知ることにはなるのだが。

まだまだ、沖縄のこととを知らなければならないことが多いし、この作品も間違いなくその一助にはなった。

*『沖縄 うりずんの雨』2015年6月
『米軍が最も恐れた男 〜その名はカメジロー』2017年8月

2018.6.19試写/C

2018年6月30日(土)全国順次公開 名古屋/7月21日(土)名演小劇場

パンク侍、斬られて候

  • 2018.06.04 Monday
  • 20:53

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パンク侍、斬られて候

 



♯129


あなどれない。
本作は、時代劇のふりをして、その枠を完璧に突き抜けたパンク劇である。
心して観なげれば、凝り固まった常識頭など破裂してしまう。

手始めに、自らを超人的剣客とおごるプータロー侍、見参。
黒和(くろあえ)藩での就職を目論みハッタリをかます。
藩では、家老どもによる権力争いの真っ最中。
そこで、奴のハッタリを活かして争いに勝とうと企むも未曾有の事態が勃発。

よくある展開ではあるが、そうは問屋が卸さないのが本作の神髄。
腹を激しく振りゆらしながら練り歩く“腹振り党”なる怪しい民衆が現われ暴徒化して物語を壊していく。
で、この“腹振り党”の衆が、今日わが住む国の民と見事に重なりあうわけで、制作者の意図はここにありと確信。
家老どものやり口は、嘘を嘘で塗り固め逃げ回る首相とか総理とかを連想させ
腹を振るは、権力に尾を振る昨今の役人に。
無気力に群れる様子は、何も考えずスマホに目をやり、人の後を付き歩き列に並ぶ、
政治など他人事のように関心を示さない民、そのもの。
超ド級のやゆ、風刺が全編を貫いている。

さてさて、“腹振り党”の出現で権力争いなどしている場合じゃない。藩がぶっ壊れてしまう危機にあるわけで。
プータローのパンク侍、いよいよ活躍の条件が整った。
“腹振り党”と真っ向勝負で藩を救うことに……。となれば、これもよくある展開。

危機に陥った藩を救うのは、猿、それも言葉を巧みに操る立派な猿である。
えっ!猿?
何でもありの発想には、ぶったまげちまっただ。
加えて、念動力を使える底抜けの阿呆が思わぬ働きをする。その手があったか監督さん。

物語は、実に小気味よいテンポで観る者を引きずり回す。
余計なシーンがないばかりか、脚本が良く練られていて台詞に無駄がない。
奇妙奇天烈な画面をまともに鎮めて、もう哲学の域。
前代未聞の娯楽作品と謳われているが、まっことその通り。観る者全員、斬られて候。
このパンクは、あなどれない。

2018.5.29試写/T

2018年6月30日(土)全国ロードショー
 

告白小説、その結末

  • 2018.05.28 Monday
  • 11:07

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告白小説、その結末

 



♯128


本作は、友人を誘って観るのがいい。
観終えて互いにどのように捉えたのかを語り合うと「えっ、そんな風に…?」と、
自分と異なる興味深い感想が反って来るに違いない。
二人のヒロインが登場するのだが、エル(彼女を意味する代名詞)と名のる人物が何者なのか
捉え方によっては、いかようにも、というか、どうも判然としないのである。
エルの狙いも捉え方次第で、これぞ戦慄のミステリー。

もう一人のヒロイン、デルフィーヌは、
心を病んで自殺した毋との生活を著した作品がベストセラーとなった小説家である。
で、次作を期待されるも極度のスランプ状態でテーマも見つからず意欲がわかない。
ゆううつな気分のままでサイン会に臨むも、早々に打ち切りたい。
そんなデルフィーヌの前に、彼女の熱狂的なファンであるというエルが現れる。
エルは、優秀なゴーストライターであるというし、デルフィーヌは彼女といると妙に落ち着く。
デルフィーヌに対して献身的で本音で語り合えることから、二人の共同生活が始まる。

観ていて、ここまでは確かに二人が存在している、ように思えるのだが。

生活に慣れるとエルは、時折ヒステリックに豹変するし、行動も不可解。
当然、仲たがいが生じて別れてしまう。
ある時、デルフィーヌはアパートの階段から転げ落ちて脚にギプス、松葉杖の羽目に。
そこにまた、エルが居合わせて彼女に寄り添うことに。そして、二人は別荘に移り住むことにし、
デルフィーヌは、執筆活動に専念する。そのつもりであったが、ここでもエルの行動がおかしい。
むしろ怖くなる。デルフィーヌは、エルに殺されてしまうのではないかという気配がひしひしと。

これは、もうサスペンス。もしかすると、この時点のエルは、デルフィーヌの幻想ではないのか。

ポランスキー監督の思いのままに引き回されて、エルは実在するのか、
否、小説が書けず追い込まれたデルフィーヌの心理状態のエルなのか、よくわからない。
この点を一緒に観た友と語り、捉え方の違いを知るのは面白いだろう。白熱するはずだ。
現実とフィクションの境目を曖昧に描くことで観る者を惑わすように仕掛けてあるのだから。

とことん惑わされた、「その結末」はラストシーンですっきりするはず、否、しない。
だからこそ、友人を誘い、観た後で違う感想を比べ合い納得するしかない。

2018.5.23試写/C

2018年6月23日(土)公開 名古屋/伏見ミリオン座

オンネリとアンネリのおうち

  • 2018.05.21 Monday
  • 13:06

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オンネリとアンネリのおうち

 



♯127


フィンランドの児童文学から、二人の仲良し女の子が飛び出した。
ちょっとおませな7歳。
ひとりは、オンネリ。9人兄弟のまん中で両親は忙しく、彼女がいなくなっても気づかない。
そして、アンネリは、別れた両親の間を行ったり来たり。
こちらの両親も多忙で、彼女とゆっくりとした時間を過ごせない。
そんな二人は「自分たちのおうちが欲しいね」と願う。すると二人が正直者だったために
バラ通りに建つ、夢のような水色のおうちに住めることになる。

原作は、フィンランドで長く愛されているマリヤッタ・クレンニエミの文学作品。
正直であること、自分らしくあること、異なる考えを受け入れることの大切さがさりげなく描かれ
二人と同世代の子どもにも楽しめる物語であり、
大人であれば、観る者自身の素直さと寛容さが試される。

二人のおうちのお隣さんは、気難しい一人暮らしのご夫人、魔法を使える陽気なおばさん姉妹。
ご近所には、ちょっと変わった人が住んでいて、わくわくいっぱいの毎日が繰り広げられる。

北欧の家具、インテリア、食器、小物も魅力的で、二人の服もおませでキュート。
監督は、3人の子どもをもつ女性監督ということもあってか、温かく優しい気遣いが伝わってくる。

さて、二人の暮らしは、お隣さんとの考え方の違いや価値観のズレなどでトラブルじみたことは
起こるが、みんなと一緒に解決して大事にはいたらない。はずであったが、
お隣に泥棒が入ったことで、これまで通りとはいかなくなる。
ましてや、親たちは、娘がいなくなったことに気づかないままなのだから。

当初に語られる「出来事には、理由がある」という台詞こそが物語の骨格を成しているようで、
二人を子ども扱いすることなく、大人たちと同じ目線で社会を見据えて問題解決に取り組む。

たまには、こんな作品で大人のサビを落としたいもの、とつくづく実感させられた。

2018.5.16試写/S

2018年6月9日(土)YEBUIS GARDEN CINEMA、ほか全国順次公開 名古屋/6月23日(土)センチュリーシネマ
 

万引き家族

  • 2018.05.15 Tuesday
  • 11:27

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万引き家族

 



♯126


何ともほほえましい家族(ホーム)ドラマである。
そろって打ち上げ花火の音を聞きながら語らうシーンや渚で波と戯れるシーンは、
“家族”の理想像を描き出すうえで効果的だ。
とはいうものの、反社会的な万引き行為で暮らしを保っているわけで、望ましい“家族”ではない。
とはいうものの、この“家族”ではあたたかいコミュニケーションが図られていて、
むしろ、今日の“家族”に足りない、あるいは失われてしまった何かを浮彫りにしていて、
観終えてじんわりと考えさせるモノがある。で、“家族”とは、と考えてみた。

国語辞典は、“同じ家に住み生活を共にする血縁の人人”とある。
ところが、本作のそれは、どうもうさん臭い、家族もどきではないのか。
祖母の年金を目当てに、いまにも壊れそうな平屋に転がり込んだ夫婦とその息子、
加えて妻の妹の4人。夫婦と息子の血縁はなさそうだし、
父に「学校は家で勉強ができない子が行く所だ」と教わり通っていない。
そればかりか、万引きの手ほどきを受け親子で行為を繰り返す。
毋は、万引きすべく品を要求する始末。でも、「それは今度ね」「頼むわ」と和気あいあい。

冬の夜、冷え込む帰り道、父はアパートのベランダに閉め出された幼い女の子を見つけ哀れを感じて
家に連れて行き、妻が介抱する。児童虐待の気配の傷が痛ましい。
幼女は、家には帰りたがらず、この“家族”の一員となり、生活に馴染み笑顔を取り返す。

辞典の“同じ家に住み生活を共にする”という点では、幼女は、立派な“家族”だ。
後でわかることだが、息子も赤ちゃん置き去りの被害者で夫婦との血縁はない、が立派な“家族”である。

女の子がベランダからいなくなったとて、両親は、警察に捜索願をすぐには出さずにいて、
ひょんなきっかけで見つかるや「心配して探していたのよ」と報道陣の前でいい親を演ずる白々しさ。

さて、頼りにしていた祖母の年金だが、その祖母が突然亡くなる。
年金の受給ができなくなるが、そこで、この件は“家族”だけの秘密として全員一致。
現実、これと同様の出来事が報道され、唖然とさせられるわけだが
本作は、万引き行為をネタとして、この“家族”にも劣る今日の“家族”の姿を
シニカルに描くカタチで奥深いメッセージを投げかける。
今日の“家族”が滑稽に思えて面白い、実に面白い。
観る者にそつなく問いかける構図の巧みさは、さすが、是枝裕和監督の仕業だ。

2018.5.9試写/G

2018年6月8日(金)全国公開 名古屋/TOHOシネマズ名古屋ベイシティ、他
 

サバービコン 仮面を被った街/SUBURBICON

  • 2018.04.18 Wednesday
  • 17:47

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サバービコン 仮面を被った街/SUBURBICON

 



♯125


1950年代のニュータウンが舞台である。
街の名は、作品のタイトルでもある「サバービコン」。
あこがれの暮らしを実現するインフラも充実した、アメリカン・ドリームの街。
とうぜん、笑顔にあふれたた明るいファミリードラマが繰り広がられているはずであったが、
隣り合う家族に起きた二つの出来事は、今日まで続くアメリカの病巣をえぐり出し、
人間誰もが秘める醜さをさらけ出してしまった。

ひとつの出来事は、人種差別暴動だ。
「サバービコン」の白人コミュニティに、黒人一家が越して来た。
すると白人たちは、ただちに黒人排除の行動に出る。
これは、1950年代に起きた実際の暴動に基づくモチーフである。
どこかの大統領のように、高い壁で家を囲み、外から見えないようにしてしまう。
さらに騒音の嫌がらせだ。自分たちもうるさいだろうに、老いも若きも寄ってたかっての呆れた行動を続ける。
もうひとつは、そのお隣りに押込み強盗が侵入し殺人事件が発生。
その後も、犯人に毋を殺された少年の身近で、次々とひとが死んでいくではないか。
少年にしてみれば、大人たちは、みんな怪しく信じられない。父も、おばさんも。

二つの出来事には関連がなく異質であり、それが並行して描き出されるために違和感を覚える。
これが制作者の狙いであることは、ラストの二人の少年のキャッチボールが意味深く
実によく計算された巧みな構成に感心する。

味付けもいい。
いずれの出来事も暗く重く、ニュータウンとは真逆の夢を打ち砕く内容であるにも関わらず
全編にシニカルのスパイスが効き、オセロゲームのように優勢と劣勢がリズミカルに交差し滑稽で
それゆえに、人間の醜さ、愚かさ、自分ファーストの幼稚さ、情けなさが浮彫りにされるのだろう。
そうそう、ヒッチコックのスパイスも隠し味になっているに違いない。

余談になるが、50年代のアメ車が多彩に登場し旧車ファンにはたまらないだろう。
ファッションや家電製品も忠実に選択したとあって、これらも見逃せない。

さらに余談を。タイトルの「サバービコン」では、作品の内容をイメージできない。
そこで「ニュータウン・クライシス」を提案したいのだが、誰に向かって言えばいいのやら?

2018.4.12試写/C

2018年5月4日(金)TOHOシネマズ日比谷、他全国ロードショー 名古屋/TOHOシネマズ名古屋ベイシティ、他
 

ファントム・スレッド/PHANTOM THREAD

  • 2018.04.15 Sunday
  • 10:00

JUGEMテーマ:試写会

 

ファントム・スレッド/PHANTOM THREAD

 



♯124


ファントムは、幻の-、見えない-、という意味。スレッドは、糸。
この物語は、1950年代のロンドン、オートクチュールでの出来事を“見えない糸”と形容した。

決して出合うはずのないオートクチュールの仕立て屋ウッドコックと、
いなかのレストランで気ままに働くウェイトレスのアルマ。

ウッドコックは、王族や貴族の夫人を上客に英国ファッション界で脚光を浴びる。
職人気質で気難しく、他人の考えなど受け入れることのない独裁者のようでもある。
そんな彼を理解し支え続けているのは、姉のシリルだけ。

疲れて仕事に集中できなくなったウッドコックに、シリルは、別荘で休暇を取るようにアドバイス。
素直に車で出かける弟の顔は、どこか穏やかである。
で、立ち寄ったレストランで彼は、気遣いもなく揺る舞う背が高く質素なアルマに目が止まる。

本作は、前半と後半の主人公が入れ替わるような展開である。
前半は、ウッドコックのわがままさに少々うんざり感さえ覚えて物語に入り込めない。
ある時など病気になってしまうと独裁者は気弱な羊に豹変してしまうし、観ていていら立ちが先に立つ。
それが後半、彼の思うようにならない感情豊かなアルマの登場で、お洒落な空気に変わり、
あのイライラ感はどこへやら。
だが、“見えない糸”で繋がれたはずの運命の糸が絡み出す。
ウッドコックとの日々に慣れ、我を張るようになったアルマの行動は、どこかサスペンスの気配に。
彼女は、彼を意のままに扱う手立てを見つけてしまうのである。
その手は、独裁者を羊に変えてしまうこと。そこで、サスペンスの度合いが一気に高まる。

イライラからハラハラ、ドキドキへの展開が見事で、いつの間にか制作者の糸に操られてしまう。
ただ前半から後半への流れで、作品の性格が変わったりはしない。
それは、二人のどちらにも組みしない姉シリルの存在があってこそだが
彼女の押さえ気味の自分表現が、作品の落ち着きを保ちセンスの良さを醸し出す。
制作者も観る側も、大人ならではの作品といえる。

ところで、タイトルを「ファントム・スレッド」よりも「サスペンス・アルマ」としたら
映画館に足を運ぶ動機を高めるのではないだろうか。
ウッドコックは、受け入れてくれないだろうけど。

2018.4.5試写/S

2018年5月26日(土)シネスイッチ銀座、他全国ロードショー 名古屋/伏見ミリオン座
 

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